自由なサッカーという事から考える

戦術で縛りつけるサッカーも自由なサッカーも約束事がある事は変わらない。
サイドに張ってなさい、も、中に入ってフォローしなさい、も約束事という意味では同じ。
ドンドン追い越しなさいも、追い越さず留まりなさいも約束事としては同じ。
大榎さんのチームにも約束事はある。全く選手の自由なら監督の戦術なんて関係ないはずなのです。
では何故選手達は大榎さんの方が自由と言うのか。それはただ自分達がやりたいやり方と約束が一致しているからということなんじゃないかなと思う。だから約束事が嫌じゃない。ただそれだけのような気がする。
やらなければいけない約束事なんてどんなサッカーでも存在するはずなのです。
そう考えるとゴトビさんの欠点は選手を戦術で縛りつける事じゃなく、自分のやり方を選手に信じさせる事が出来なかったことなんじゃないだろうか。3年以上チームを指揮して選手にこういうサッカーをやりたいと思わせる事が出来なかったのだ。
選手に自分を信じさせる、これも監督の大切な能力の一つなのではないかと思う。
先日の静岡新聞の記事もそう考えて読めばまんざら恣意的な記事でもなく、それなりにあの時のチームの問題点をあぶりだした記事だったのではないでしょうか。あの一言が出てしまうほどチームの信頼感はなくなっていたのである。
選手に好きに自由にやらせるのではなく、選手にこの監督のサッカーが好きだ、良いサッカーをしていると思わせることが必要でゴトビさんに欠けていたのはそこだったんじゃないだろうか。
そんな事考えてみました。終わり。