元紀の移籍について

本題に入る前に。

言いたいは沢山ありました。それらを全て書くと感情的なものまで混ざってごちゃごちゃになって全くまとまらなそうです(それはいつもだな...)。幸いなことに僕がここで暴走する前に何人かのブロガーさんが同意できる記事を書いてくれました。多くはそちらを読んで納得。有り難たや。

おかげさまで、僕は余計なこと言わずに昨シーズンの元紀のプレーに焦点を絞って書いていきます。それもまた自分勝手な思い込みですが、いつもの事としてお許しを。それでは本題。

大前元紀というプレーヤーが清水エスパルスで絶対的な立ち位置を得ることが出来たのは何故でしょう。

得点能力と戦術理解。元紀はこの2つを高いレベルで持っています。自らの力でチームを勝たせ、尚且つチームのバランスも保つことが出来る。だからチームにとって最も必要な選手になっているというのが僕の考えです。

ところが昨年の元紀のプレーを見るたびに違和感を感じました。その特徴が発揮されているのか。攻撃、守備、両方に対してです。シーズン前半はチーム全体の問題かなと思っていました。しかし怪我から復帰後もそれは変わらず。結局最終節までその違和感は変わらないままでした。この違和感を紐解くことで今回の移籍を検証してみます。

まずは攻撃面から。
元紀の最大の長所とは、動いた状態でボールをコントロールしてゴールを決められること。これは誰かは忘れてしまいましたがある解説者の方が語っていたコメントです。僕はその評価にとても納得していました。元紀が主力として起用され始めたのはゴトビ監督が就任してから。主に右ワイドのポジションを任せられました。ワイドの位置からスピードに乗ってゴール前に浸入。その勢いを生かしてダイレクト、または相手をキュッキュと外し天性のゴール感覚で得点を奪います。振り返ると、元紀が最も輝きのあるプレーをしていたのはこのワイドのポジションだったのではないかと思います。ゴトビ監督の戦術では、ワイドのスターティングポジションはサイドラインいっぱい、つまりゴールから離れた位置。その位置からゴールに向かうことで自然とスピードに乗って動いた状態でボールをコントロールすることになります。当時のチーム戦術は元紀の一番の長所を発揮出来るよう構築されていたのです。
 
しかし、昨年任せられた2トップのポジションでは最前線に位置するためブロックの中で相手を背負った状態でボールを受けることが多くなります。そこから出来るプレーはワンタッチで味方に繋げる、またはターンして、相手を抜いてシュート。まだ組織的な攻撃が未完成だったチーム事情も関係して独力で打開しようとするプレーが多くなりました。しかし、止まった状態でボールを受け、相手を抜きさるというのは恐らく彼の得意なプレーではありません(出来ない事はないけどね)。結果的にチームとしての攻撃が遅くなり思うように得点が奪えない試合が多くなります。

一方相方のテセは止まった状態でのプレーが得意です。相手を背負ってボールを止め、味方がプレーする時間と場所を作り出します。さらに中央からの崩しがまだ仕込まれていなかった時期にサイドからのクロスを高さと強さでねじ込み得点を量産しました。
元紀の怪我による離脱はテセを軸としたチーム作りに拍車をかけました。テセの相方は金子や石毛。彼らが好守でテセをサポートしつつ、サイドミッドフィルダーと連携しながらゴールを狙うプレーがチームの基本型になっていきます。

熟成した組織の中に復帰した元紀が加わると違和感はより大きくなっていました。元紀はゴールで存在価値を示そうとしたのかどうしても自らゴールを直接狙うようなプレーを見せます。ある意味エゴイストのプレー。そして必ず途中交代。

チーム戦術の中で元紀は王ではありませんでした。もちろん能力はずば抜けています。しかし、起用方法としては金子と同格。しかも組織的なプレーでは金子の方が上。元紀は超高性能なオプション。言い方は悪いですがそう言う立ち位置でした。元紀がチームに必要とされていないと感じていたとすれば、ここが原因だと思います。実際は、間違いなく必要とはされていたはずです。しかし、彼を中心に攻撃が組み立てられる軸の選手ではなかった。というのが正確な表現に近いのではないでしょうか。
今まで攻撃戦術の中心選手だった元紀が組織からずれたプレーをしている。これが攻撃面で感じた違和感の理由です。

次は守備面を考えてみます。
2トップの守備について、プレシーズン含め、シーズン前半は少し勘違いをしてたことがありました。2トップの内1枚は守備をある程度、あえて免除していると思っていました。例えばこちらの記事では、
 
 
わざと元紀を中央前線に取り置きしているといった内容です。でもどうやら、ホーム群馬戦での修正を見るとそれは違ったようです。曖昧だったフォワードの守備を徹底したと小林監督は言っています。また、シーズンの振り返りの番組などで、テセが「金子の守備を見て元紀も守備をするようになった」とも言っていました。これらから元紀の守備はチームが求めたものより足りなかったということがわかります。

しかし、本来、彼は守備をさぼる選手ではありません。大榎監督時代には攻撃陣の中で最も守備をしたのが元紀です。指示が無くても後ろの危険なスペースを埋めに戻るのは前線の中では元紀だけでした。当時エスパルスの組織は元紀がいなければ成り立たなかったとさえ言えます。

何故、昨シーズンの元紀は守備意識が低かったのか。1つ仮説を立ててみます。元紀はゴールにこだわる選手ですがそれ以上に勝利にこだわる選手です。大榎、田坂監督の元でのプレーを見ればわかります。つまり「チームの勝利>自分のゴール」という考え方を持っているのは間違いありません。昨年、小林監督が組織を整え、元紀に2トップのポジションを与えました。元紀は得点を取るというタスクがより明確になりました。「チーム勝利=自分のゴール」という等式が成り立つようになったのです。それが元紀の責任感と自分のプレーに対するストイックさから勝利のためにゴールを奪わねばという意識を必要以上に高くしたのではないでしょうか。そのことにより端から見ると「チームの勝利<自分のゴール」というプレーになっていったという結論です。これはあくまで仮説ではありますが。

実際は元紀がどう考え、クラブがどう評価していたかはわかりません。小林監督は組織的なプレーを強く求める監督です。テセや金子などライバルとなる選手と比べると組織の中のプレーでは評価が低かったかもしれません。また守備面。監督もクラブ全体の方針としても切り替えの早いサッカーを掲げています。攻撃から守備への切り替えに難がある本田が(守備の強いボランチが不足しているにも関わらず)移籍したことを考えると切り替え時の対応というのは評価点として重視されていると思われます。元紀の守備への切り替えの動きがマイナスポイントと見られた可能性はあるでしょう。

ゴトビ監督の元では戦術が彼を生かしてくれました。大榎、田坂監督の元では自分を犠牲にしてチームの穴埋めに奔走しました。2016年シーズン、小林監督の元で希望するポジションと自分のプレーに専念出来る環境を得ることが出来ました。個の能力の高さは証明しました。しかし、組織の中に自分の最大の長所を組み込むということは出来ませんでした。そこにまだ元紀の成長の余地がありそうです。もしかしたら組織の土台がしっかりしたチームで一から自分の居場所を探すことで成長するための道が見つけられるかもしれません。僕はこれまで元紀がエスパルスで成し遂げてくれたことに感謝し、彼の活躍を祈り続けたいと思います。
 
さて、清水エスパルス2017年の新体制が発表されました。新しい清水エスパルスのスタートです。選手の顔ぶれは多少変われど、今シーズンもこれまでと変わらず清水エスパルスを楽しんでいきましょう。