ワールドカップが終わってだらだらと

夢のような約一ヶ月間がついに終わってしまいました。これまでにないくらい試合を見まくりましたよ(それでもまだ見てない試合がHDの中に残ってたりして)。

さて、では感想。開幕前には、クラブチームのように整備された戦術を駆使してくるチームが多いのではなんて声が聞かれたりもしました。戦術クラスタ界隈では戦術理論の一般化、認知トレーニングなんてワードも話題になりました。

しかし、いざ開幕して見るとやっぱり選抜チームの大会だなという印象でした。基本的には4-4-2のゾーンで守って、相手の急所を狙ってシンプルに攻めるというゲームモデルのチームが多いかったですね。

4バックのゾーンで守って固い守備組織が作れていたのは、それが彼らにとって一番わかりやすい守備の共通言語だったからでしょう。つまり理解度が高く実行しやすいゲームモデル、そのチームのやり方を徹底できていたチーム、相手の組織の隙をぶん殴れる個がいるチームが勝っていた印象です。

日本代表に目を向ければ想像以上の良い結果を残してくれました。ただ上の条件に当てはまるかなと考えると「?」になってしまいます。

そもそも何故ゲームモデルが必要かというと、それがチームのプレーの基準になるからだと僕は理解しています。基準があればチームのプレーが一つになりやすい。チームスポーツなのでチームが一つになれば強いですよね。

日本はゲームモデルに関しては「?」なのですが、「基準」と考えれば明確なものがあったと思います。たぶんそれはいわゆる「俺達のサッカー」。「俺達のサッカー」は我がままなサッカーという否定的な意味で使われることが多かったのですが、今大会ではチームの一番わかりやすい共通言語としてゲームモデルの役割を果たしていたのではないかと思います。

ハリルホさんが解任されてから大会中、そして大会後。聞こえてくる話から推測すると日本代表は選抜チームではなかったような気がします。南アフリカ大会から続いている一つのチーム。南アフリカ大会で中心となった選手達は今後日本代表が強くなるために必死に努力してプレーを磨き、思考し続けてきたのでしょう。それが積み重なりチームのプレーの基準になっていたのだと思います。

そう考えれば主力選手が4年前にはザックさんの、今回ハリルホさんの戦術に異議を唱えたのは一貫して理由があったなと理解できました。それが良いか悪いかは言いませんが、少なくとも彼らにとっては自分の我がままを通そうとした行動ではなく、日本サッカーのために起こした行動だったのでしょうね。

西野監督が代表経験の多い選手、それらの選手と波長のあう選手を中心に選考したのも正解だったと思います。それにより基準が統一されるからです。プレーの基準といっても選手の内側から出てくるもので言語化出来るほど明確なものでないならば、監督が戦術を考えて与えるのでなく、選手側からの発信をまとめる形を取った方が良かったのでしょう。

海外のユース年代指導者が日本の選手は味方に気を使ったプレーをする、それによる即興性のあるプレーには驚かされると言っていたのをどこかで読んだことがあります。
今回の編成によってそういったものが日本の優位性として発揮された形なのかななんて思ったりしました。

戦術はあくまでチームのフレームを構成する一部分であって、中身を伴わなければ意味がありません。選手が一体となって全てを出し切れるものがあれば、多少あいまいなフレームでもそちらの方が勝利に近づける場合もあるということを学べたのは収穫でした。

仮にも今回それなりの結果が出たので(結果とは何を指すのかという議論もありそうですが)ちゃんと分析して良いところを抽出して今後に生かして欲しいと思います。しかし理論立てて考えるのが苦手な我が国のサッカー界(サッカー界だけじゃないけど)なので、経験と身内の自己肯定感でこれからの進路が決まっていきそうですね。自分達に合わないと思いこんで慣れないものを否定するのはもったいないような気もしますが。

まあ、肩ひじ張ってサッカーを考えても疲れるので、あるがままでサッカーを見ていきたいと思います。ムキにならず、かといって流され過ぎずに。twitterでは大人しくしてましたが、大会中めちゃ盛り上がって楽しんでましたしね。Jリーグも始まったことだしサッカーは基本的に楽しめる方向で行きますよ。