全国高校サッカー選手権 浜松開誠館vs長崎総科大附属 観戦メモ

静岡代表浜松開誠館の試合です。興味を惹かれので見直してみます。見えたとこだけメモ。

まず両チームのシステム(チームオーガニゼーション)のかみ合わせ。
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浜松開誠館は4123、長崎総科大附属は4411。

 開誠館はCBが1枚とサイドバックがフリー。ということで開誠館はフリーのCBからSBへというルートで攻撃を開始。
 開誠館のSBにボールが渡るとボールサイドに強く寄せる長崎の守備。開誠館はその逆を取るようにSBからIHへ、または一気に逆サイドのWGへと斜め前方にボールを運ぶ。相手を寄せて斜めにレーンと列を越えることにより最終的に逆サイドのWGが前を向いてボールを持てる状態を作り出す。これが開誠館のビルドアップの目的だと思われる。
 WGにボールが渡ると突破力を生かしてカットインからのシュートまたは前3人のコンビネーションでフィニッシュを狙う形。小柄で俊敏、技巧派の3トップ。単純なクロスはほぼ無し。
WGのカットインから逆サイドのWGやIHがバックドアで相手DFの裏を取り、そこにスルーパスというプレーが何度か見られた。前半最大の決定機4番前田君のシュートはこの形から。これはチームとして狙ったプレーだろう。
 前半20分過ぎ辺りから長崎はトップ下の千葉くんとSHの選手で開誠館のSBに素早いプレスをかけるようになる。縦と横からコースを消され、斜めにレーンを横切るパスが出せなくなるとサイドを独力突破、またはCBからの縦パスが多くなる。直線的な攻撃はフィジカルの強い長崎のDFに潰されやすい。

 後半は監督から「IHがボールを受けろ」という指示がでたよう。IHが下がって後ろでのビルドアップで数的優位を作ろうという狙いだと思われる。数的優位を作っても相手をずらすようなボールの動かし方をしなければ相手の守備に阻まれる。IHが下がると3トップは前で孤立し、奪っても単発の攻撃になっていた。前半の途中から長崎が押し込むという状況が続いていた。

 長崎の攻撃は基本、ダイレクトなビルドアップ。後ろからトップに当てて、サイドハーフボランチの1枚が前に出て押し込んでいく。前に当てるとその横を抜けるように1枚裏を狙うような動きがよく見られた。これは1つの約束事だったかも知れない。
 
 開誠館のファーストディフェンスは積極的なプレッシングと言うより、コースを消すことを重視した守備。全体では433または451でブロックを作る形。長崎がDFのギャップを狙うように飛び出すとDFラインのスライドではなく中盤の選手がついていく。人を捕まえるようについていき空いたスペースは前が下がって埋める。
 長崎が攻勢に出ると全体が下がってカウンターが機能しなくなっていた。

 後半23分の失点場面はCBとSBの間のギャップを千葉くん(後半から右SHの鈴木くんとトップ下の千葉くんがポジションチェンジしていた)が抜けて右からのクロスをヘディングシュート。 開誠館はIHがギャップをカバー。
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両チームともお約束通りの動きだったがマークが遅れて決められてしまった。セカンドボールを拾われて何度も攻撃を繰り返されていたので厳しかったか。

 先制されると開誠館はCBが持ち上がることでボールを前進させられるようになる。ビハインドなのでリスクを負ってもということだと思うが、システム上CBの1枚はフリーだったのでCBを使うのはハイリスクではない。前半からこのプレーはやるべきだったと思う。
 さらに交代で前線に高さのある選手を投入し同点を狙うが、試合はそのまま終了し0-1の敗退となった。

・まとめ
 この試合のメモを書いたのはこれまでの静岡の代表チームをちょっと違うなと感じたからです。局面の打開を繋ぎ合わせていくのではなく、後ろからゴール前でのシュートまで攻撃の設計図が見えるチームは新鮮でした(高校サッカーをよく見るわけではないので僕が見えてなかっただけかも知れませんが)。弓場くんというエースはいましたが、良い意味で彼だけが目立つのではなく1つのチームとして機能していました。
 攻撃だけでなく守備ではDF陣を中心にしっかり競い合いもでき、組織的な攻撃を見せるチームにありがちなひ弱さを感じさせることもありませんでした。

 静岡代表としては、初戦敗退が続いているので静岡サッカーのレベルの低下を心配する声も聞かれました。しかし失点場面は少し押し込まれてたものの、決定的なチャンスも何度も作り出しており力の差はそれほど大きく開いているわけではなかったと思います。
 過去、栄華を誇った静岡のサッカーとは言ってみれば強力な「個」あっての強さだったのだと思います。今は全国どの地域にも育成のシステムが行きわたり、地域の優位性はありません。さらにJ1のユースが2チームもある静岡の土地で今の時代に個だけを追いかけるのは無理があると思います。
 しかし、浜松開誠館のような整理された組織が見えるチームが静岡代表になったということは今までとは違う流れが出てきたのかなと感じました。これからの静岡の高校サッカーに期待し楽しみにしていきたいと思います。
 


金子の守備とカウンター

 エスパルスのカウンターのイメージ。サイドからゴールの幅にグーっと入っていくような。ゴール前に3人にシューター入れて、3人の関係性でシュートみたいな。

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 カウンターでこの形を作るためにはどう守備をするか。

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 この辺りで奪えばいいと。ここで奪えば、プレスの方向が

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そのままカウンターの形になる。

 つまりエスパルスの守備はカウンターと一体になっている。

 エスパルスの3+1攻撃の時、石毛に比べれば前目の特徴を持つ金子が3人目のストライカーの役割を担うことが多い。ということで金子の守備も自然と前目でのプレスになる。

 金子が守備の時、後ろを取られるように見えるのは、こういうことなのではないかと思う。金子の守備が間違っていれば監督は修正するだろうし。そもそも金子はそんなに守備できない選手じゃないし、引いて守備しようねとなれば組織的にも右サイドもちゃんと守れている(と思う)。

 noteの方の書き方だと金子の守備が良くないみたいな書き方になったので、ちょっと気になって考えた。それだけ。

 
 

 






明治安田生命J1リーグ第29節 清水エスパルスvsジュビロ磐田 静岡ダービー メモ

開始しばらくはボールを持つと両チームともに早めに最前線に入れていた。ジュビロは川又に。エスパルスドウグラスに。

ジュビロは前の3枚でエスパルスのDFラインにプレスに来る。ボランチも1枚は前方に。高い位置からプレスをかけたいようだった。

しかし裏を狙う北川とドウグラスへの警戒もあって後ろは低めのライン。ブロックは縦に間延びしていた。そのスペースに入るエスパルスサイドハーフ

ジュビロエスパルスの前の2-2に対応できていない。特に金子が浮きがち。

エスパルスはハイプレスは行わない。ハーフウェイラインの少し前をプレスラインに設定して442をコンパクトに構えていた。

ジュビロの攻撃は川又の落としを中村俊輔ボランチに拾わせてラストパスを狙う。そのため俊輔、田口は高い位置に。大久保はゴール前。

エスパルスは中村へのマーク強め。ジュビロは川又が競り勝ってもチャンスに繋がらない。

後ろからのビルドアップに対しては通常より中央に絞って守備をしていた。金子や石毛は内側にプレスに行くことが多い。俊輔へのパスやボランチにボールが入るのを警戒していたのだろう。

先制点はボランチの上原からドウグラスが奪ってカウンター。ジュビロは攻撃時に右CBの高橋を前に上げる。ドウグラスから高橋の裏を突いた北川にパスが出てゴール。

エスパルスはこのゴールの他の場面でも高橋の裏を狙っていたように見える。

ジュビロは左のハーフゾーン(金子、立田サイド)にポジションする選手がいない(大久保はゴール前に入っていく)。よって左の攻撃は左WBエレンの単騎になることが多かった。

俊輔は徐々に下がってボランチの位置でボールを受けることが多くなる。
俊輔がブロックの外に出るので、ボランチや高橋が前に出ていく。ボランチの位置に俊輔、大外に桜内、ハーフスペースに高橋とか。全体が動きトランジション時のポジションがよりずれていく。

ジュビロは守備でエレンが金子を捕まえるようになる。空いたサイドのスペースに立田が上がっていく。

立田が上がっていくと、大久保がケア。前半途中からはジュビロは541の撤退守備に。大久保が完全に低い位置に押し込まれる。エスパルスは後ろで保持して遅攻。

大久保、俊輔が押し込まれ、奪っても前線に川又1人。30分過ぎからはカウンターの脅威もなくなり完全にエスパルスペースに。前半終了。

後半、ジュビロは大久保に代えて荒木。上原に代えて山本。ポジションは基本そのまま。

山本がDFラインに高橋を前に侵入させる。田口が2トップ裏。荒木は左のハーフゾーンで受けてゴールに運んでいく。エスパルスが苦手とする攻撃の形に変化するジュビロ

前に出る金子の裏。白崎と立田の間のスペースで受けてドリブルで運ぶ荒木。荒木が左のハーフゾーンで受けることでエレンの攻め上がりも効果的に。後半開始しばらく攻勢を強めるジュビロ

田口の得点はマークしていた白崎がついて行けば防げたような。エスパルスの選手は献身的だが一瞬のマークの緩さを見せる。

エスパルス3点目は完全に2トップバンザイ。

攻勢を強めるジュビロだがトランジション時のもろさは変わらず。縦一本で2トップとDFラインが直接対決する形が発生している。

4点目はフレイレがカットした時中盤が田口1人。俊輔のカバーが遅れて石毛が中央でドフリー。3バックの中央に入った山本の裏にスルーパスが出て北川のゴール。

エスパルスの交代は、北川→クリスラン、石毛→村田、金子→水谷。前の選手から代えてファーストディフェンスの強度を維持するヨンソン采配が最近の傾向。

ラストはアディショナルタイムに村田のゴール。5-1の完勝。


ジュビロの試合のプランは高い位置からの守備、前に人数をかけて攻撃的にという意図が垣間見えた。ジュビロは彼らの理想とは裏腹に撤退守備で飛び道具を生かした攻撃というのがストロングだと感じる。相手を押し込みたいというのは、おそらくダービーに対する意気込みだったのではないか。しかしそれが裏目に出た試合だったと思う。

2トップにやられたという名波監督のコメントはあながち間違いではない。正確に言えば、エスパルスの4222の攻撃に対する対策が曖昧だったため、強力2トップというエスパルスの強みを最大限に発揮させてしまった形だ。

逆にエスパルスはチームで相手の穴を見極めて、上手く自らの特徴を当てこんだのが勝因だったと思う。

1回見直しでざっと印象をメモったので違うとこがあるかもしれない。出来たらもう一回見てみたい。何か書くことがあればnoteにまとめます。(たぶんこれで終わりだけど。)

凄い!で良くない?

イニエスタJリーグくるなんて凄い。リージョがJリーグの監督やるって凄い。

それで良くないですかね?

普通、まずびっくりするしワクワクするものじゃないですかね。

バルサ追っかけてないのにイニエスタwwとか、

リージョの戦術とか成績とか知ってるのかよとか、

凄い選手一人獲っても変わらないよとか、

面白いサッカーやっても勝てないよとか、

それが最初にくるのってちょっとシニカル過ぎないかね?

バルサで活躍する世界的に有名な選手と名将達が尊敬してる有名な監督。具体的に凄さがわからなくても、それだけでテンション上がるものじゃないのかな。

そのワクワクを提供してくれただけで、三木谷さん凄いと思うけどなあ。

ゾーンディフェンスは守備の魔法じゃない(と思うよ)

 試合がなくて暇なんで適当に思ったことを。特に強い主張はありません。

 これはシーズン始まったころから思ってたこと。ある論に対する違和感。

「ヨンソン監督になってゾーンディフェンスに取り組んでいる。これが完成すれば守備が良くなるはずだ」

ってやつ。

 完成ってなんぞやと。もう2年以上4-4-2ゾーンやってるし、基本はできてるじゃんと思うわけです。セットしての守備はヨンソンさんも前監督の小林さんもやり方は概ね一緒で目新しいことなんて別にしてないと思うんですね。

 守備がぱっとしないのはメンツの問題じゃないかと。中盤4人が攻撃に長所を持つタイプで決して守備が強いわけじゃないですからね。

 4-4-2ゾーンって失点を防ぐ魔法の技じゃなくて、たんなる守備の一般教養だと思います。それがないチームがゾーンに取り組んだら守備はがらっと良くなるかもしれないけど(2015年と2016年じゃ守備がらっと変わったよね)、エスパルスはある程度一般教養は身についてるんですよね。

 今のチームの失点っての逆にゾーンの特徴を利用されてやられてるような気がします。例えば、

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 サイドに運ばれて、ギャップをボランチがカバーに行ったスペースを使われるやつ。スライドしたギャップをカバーするのは4-4-2ゾーンのセオリーだけど、エスパルスはそこをよく使われますよね。

 他には、
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ボールホルダーに対して一人がアタック、横の選手は斜め後ろのポジションを取るというセオリー。この時、横に横に動かすと、守備者は斜め斜めにポジションするので中盤のラインが徐々に下がってしまう。そこでできた中盤のスペースをフリーで使われるというやつとか。

理論上はスペースはスライドしたり、前や後ろから列を変えてカバーするんだけど、ボールを繰り返し動かされたら常にスライドが間に合うわけじゃない。
 ということで、ゾーンどうのこうのじゃなくて後は個々の守備技術や判断力だったり、プレッシングのはめ方だったり、システム変更で乗り切ったり、その辺なんじゃないかと思うわけです。

 僕はヨンソンさんになって変わったのは、プレッシングと攻撃面だと思うんですけどね。

 おまけ。4-4-2ゾーンの弱点解説されてます。


明治安田生命J1リーグ第25節ベガルタ仙台戦 コーナーキックレビュー


 ベガルタ仙台の配置は以下の通り。

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 キッカーは野津田。左足からのインスイングのキック。ボックス内に6人。180cm台の大岩、平岡はファーサイドにセット。
 奥楚がショートコーナーとこぼれ球、後ろに富田と関口のカウンター対応。

 それに対するエスパルスの守備の配置は以下の通り。

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 ニアゾーンの前に長谷川、その後ろにドウグラス。その他はマンツーマン。大岩にファンソッコ、平岡にはフレイレがマーク。
 カウンター要因に金子、こぼれ球とカウンターの中継役に河井。

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 野津田のキックと共に中央前の阿部、蜂須賀がニア側へラン。マーカーの白崎、松原を引き連れてゴール前中央にスペースを作る。
 ファーの集団の内、椎橋と平岡はステイ。大岩がそこを膨らむように回り込み中央へ向かう。
 マーカーのソッコが付いていくが、ステイする平岡と椎橋、そのマーカーのフレイレと飯田の4人の集団がスクリーンになってマークが遅れる。

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 ボールはニアを越えて中央に向かう。ストーンのドウグラスが反応するがクリアできず。大岩が入ってくるがソッコは追いつけない。

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 大岩がシュート。ゴール前にいた石原がややファー側に動きデュークもマークに付いているためたファーのコースは消えたように見える。そのためか六反はニア側に動いて対応。しかしボールは石原とデュークの間を抜けてゴールイン。

 仙台のデザインを推測すると、

・最も高さのある大岩にシュートを撃たせる。

・シュートを撃つポイントはゴール前中央。あらかじめ中央にセットした選手をニアに走らせシュートポイントを空ける。

・大岩をシュートポイントから一番遠いファーにセット。間に2人の味方を置いてマーカーのファンソッコにスクリーンをかける。

・中央ストーンのドウグラスが追いつけないように、ニアを越えてゴールからやや離れたゴールエリアのラインの手前に落とす。

 スペースの空け方、マーカーをスクリーンしてマークを剥がす、ニアを越えてゾーンで守るストーンが触れない位置に落とすキック、シュートのコース。

 全てが決まった見事なセットプレーからのゴールだった。


ゾーンディフェンスの歴史の話...の続き

 
ようやく4バックのゾーンディフェンスまでやってきました。この本のゾーンプレスの章では、ここからミランでのサッキの戦術に続くのですが、その前に他の章にも注目します。この頃に各地で起きた重要な2つの戦術について触れてみましょう。
 
ヴィクトル・マスロフのプレッシング戦術
 
 
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1つ目の戦術の舞台は共産圏旧ソ連のチーム、ディナモキエフキエフで1964年から監督を務めたのがヴィクトル・マスロフです。マスロフは、選手全員を連動させ一気に守備の網をかけ相手からボールを奪うプレッシング戦術を生み出しました。
 
プレッシング戦術の誕生は、サッカーを11人と11人の個が戦うスポーツから、11人の選手が構成する組織と組織が戦うスポーツへ変換させた戦術思想史上の大きな出来事と言えます。
 
さらにマスロフの後、ヴァレリー・ロバノフスキーがサッカーに科学的なアプローチを持ち込むこむことでプレッシング戦術を進化させます。ロバノフスキー率いるソ連代表は、強烈なプレッシングとオートマティックな連動性を持った攻撃を武器に1988年ユーロで大躍進を果たします。決勝でオランダに敗れるもそのサッカーは西側諸国に大きな衝撃を与えました。
 
マスロフ、ロバノフスキーが作り出した戦術は共産主義という政治体制と一脈通じるアプローチであったのは間違いありません。そして共産主義体制の崩壊と共に、旧共産圏のサッカーもその力を失っていきました。
しかし彼らの戦術思想はその後の戦術家に確実に引き継がれていきます。後にドイツにおける新世代の戦術家として登場するラルフ・ラングニックはその代表的な一人と言えるでしょう。
 
 
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2つ目の戦術はオランダの地に生まれた「トータルフットボール」です。(トータルフットボールという言葉はミケルス本人でなく、メディアが名づけたそうですが。)
そもそもオランダ、アヤックスには古くから技巧的で攻撃的なサッカーを好む土壌がありました。
 
パスによるポゼッションサッカーの源流は、イングランドのキックアンドラッシュに対抗したスコットランドのクインズパークというクラブチームのサッカーだと言われています。1959年にその流れを汲むヴィック・バッキンガムが就任しアヤックスポゼッションサッカーを植え付けました。ヨハン・クライフはユース年代にこのバッキンガムの元で指導を受けています。
 
1965年、バッキンガムの後を受け就任したのがリヌス・ミケルス。ミケルスは中盤に厚みを持たせた4-3-3システムを採用。ヨハン・クライフを中心選手として、ポジションチェンジによる流動性とパスワークによる攻撃、高い位置からのプレスとラインの押し上げという現代サッカーにつながる要素を含んだサッカーを作り上げます。
この戦術の重要なポイントは、フォワード、ミッドフィルダーディフェンダーといったポジション毎に相手を上回ろうと勝負するのでなく、11人でピッチ上のスペースを支配しようという考え方です。
 
攻撃的で美しく、なおかつ強いトータルフットボールは世界中のサッカーファンを魅了しました。しかしこのサッカーを実現するためにはトータルフットボールをやるためにカスタマイズされた高い技術と戦術理解を持った選手を必要としました。そのためミケルスもクライフもユース年代からの育成の重要性を強く説いています。
結局、ミケルスのアヤックス、オランダ代表、クライフの「ドリームチーム」バルセロナ以降、トータルフットボールをピッチに表現するチームは長らく現れることはありませんでした。
 
ミケルスとマスロフ、彼らの思想は後のフットボールに大きな影響を与えることになります。
個と個の戦いから、組織と組織の戦いへ。ポジションからスペースの支配へ。この2つの大きな戦術思想の変化を理解して、ようやくゾーンディフェンスの歴史の舞台をイタリアの地に移すことにしましょう。 

(1988年欧州選手権ソ連vsオランダ)
(↑縦横がおかしくなっていますが、非常に興味深い動画ですね。)
 
 
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マンツーマンからゾーンディフェンスへと守備戦術が移っていく中、イタリアはその流れと一線を置く例外的な国でした。
 
 
カールラパンの「スイスボルト」は、インテルを率いたエレニオ・エレーラによって「カテナチオ」と呼ばれる守備戦術に整備されます。自陣に引いてのマンツーマン守備から少人数でロングカウンターというカテナチオ。この戦術は、1950年代から1960年代に全盛期を向かえます。以後、イタリア国内の戦術は1対1で勝つことが全てという発想が主流となりイタリアの伝統になっていきます。
そこに登場したのがアリゴ・サッキです。1980年代後半、サッキはACミランに就任すると、マンマーク思想がはびこるセリエAにゾーンディフェンスをベースにしたプレッシング戦術を採用。このサッキの生み出した戦術は現代サッカーにもいまだ大きな影響を与える革新的なものでした。 
 
(ナポリvsACミラン 1990/91年セリエA
 
ただしこのサッキの戦術革命は、一人のイタリア人戦術家が突如生み出したアイデアではありません。
個をベースにした守備から組織をベースにした守備。マンツーマンからゾーンをケアする発想。引いて守ってカウンターではなくプレッシングからショートカウンター。サッキの取ったアプローチは脈々と続く戦術史の流れ(ゾーンディフェンス、マスロフのプレッシング、ミケルスのトータルフットボールなど)を汲み、それをイタリアという土壌と融合させようという試みに他ならないのです。
 
リベロシステムからの脱却と新世代のドイツ人戦術家達
 
イタリア同様にマンツーマンへ独特のこだわりを見せていたのがドイツです。ドイツは1974年ワールドカップ西ドイツ大会で優勝しましたが、その時のシステムが皇帝フランツ・ベッケンバウアーリベロに配した4-3-3のリベロシステムでした。確かに1960年代後半から1970年代においてはリベロは最も先進的な戦術思想でした。しかしサッキのゾーンプレス以降、 他の国が次々とゾーンディフェンスを採用していく中、ドイツでは1990年代に入ってもリベロシステムが踏襲し続けられていたのです。
1990年代に入るとフォルカー・フィンケラルフ・ラングニックといった新世代の戦術家が頭角を現し、ようやくドイツでもゾーンディフェンスが注目されていくことになります。特にラングニックはロバノフスキーの影響を強く受けており、ドイツに根付き始めたゾーンディフェンスの土壌にプレッシングのエッセンスが加えられていきます。さらに彼の思想を引き継いだ、クロップ、トゥヘル、ナーゲルスマンなど現在活躍する優秀なドイツ人指導者がぞくぞくと出現し、今やドイツは戦術大国と言っても過言ではない地位を確立しています。
 
続いていく思考実験
 
これでようやく現代までやってきました。ここまで見てきて守備戦術の歴史とは人からスペースへという戦術思想の移り変わりだというのがわかると思います。その思想の変換を戦術としてピッチ上に具体的な形に表したのがサッキのゾーンプレス戦術です。
そして、スペースをいかに支配するかという攻防は現在も続いています。だからこそサッキの戦術は今でも戦術家達に研究され、様々な戦術のベースになっているのでしょう。

いかにスペースを支配するかという思想が進んでいくとプレッシングの重要度はますます高まっていきます。現在の守備戦術ではプレッシングはもはや欠かせない要素となっています。

プレッシングと言えばマルセロ・ビエルサが教祖的存在として有名ですが、彼はマンマークという一見時代に逆行する守備戦術を採用しています。しかし、彼がスペースを徹底的に支配するためにプレッシングを極め、そのために必要な手法としてマンマークを採用していると考えれば、ビエルサの戦術も現代の戦術思想に沿ったものだと理解できるでしょう。
 
この章で最後に触れられているチームは2004年ユーロで優勝したギリシャ代表。ギリシャを率いたドイツ人のオットー・レーハーゲルは1988年、1993年にブレーメンをドイツブンデスリーガ優勝に導いた監督でした。レーハーゲルはすでに過去のものとなり誰もが対策を忘れてしまったマンツーマンディフェンスを採用しギリシャを優勝に導いたのです。
 
次から次へと戦術のアイデアが提示され、アイデアが提示されるたびに何か対策を見出そうとする戦術家達が出てきます。戦術の歴史とは100年を超える正に思考実験の歴史です。
 
今回はゾーンディフェンスという軸に沿ってその歴史を辿ってきました。本では他にも様々な戦術の思想史について書かれています。それぞれの戦術がその時代の様々な戦術思想と網のように絡まり、影響し合い新たな戦術が生み出されていきました。
これらの戦術思想史の積み重ねの上に、僕達が今見ているフットボールは成り立っています。
 
思想のない戦術は中身の無い空き箱です。システムや選手の動きという目に見える戦術だけでなくその思想史に思いをめぐらせることで、より深くフットボールを理解できるようになるのではないかと思います。
 
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